「老後なんてまだ先のことでしょ」と定年になってから「老い」を考え始めるのでは遅すぎる納得理由

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いうまでもなく私たちが望む最善の結果は、生涯を通じて良好な健康状態を維持し、健康寿命と寿命が一致することだ(おそらく、ここは非常に重要である)。その望みを実現するためには、「長く生き、若く死ぬ」必要があるという(これはアルバート・アインシュタイン医科大学の教授で老化研究の専門家であるニール・バルジライの言葉だそうだ)。

頭が混乱してきた人もいるかもしれないが、よりよい老い方とは生涯を通じて健康を保つことだとすれば、それを実現するには2つのステップが欠かせない。ひとつ目のステップは、生涯を通じて良好な健康状態を維持するべく、フレイルの進むペースを減速させることだ。そうやって不健康期間を圧縮し、健康寿命を寿命に近づけていくのだ。しかし、不健康期間が圧縮されればおのずと、老いるときには、老化が急激に進むことになる。これが2つ目のステップである。(77〜78ページより)

したがって、このステップが実現しなければ、結局は人生終盤の日々を不健康に生きることになるというのだ。

よりよく老いることがもつ意味

そうした考えを踏まえたうえで、著者は“エバーグリーンの課題が私たちの人生観に及ぼすおもな影響”をまとめている。それぞれを確認してみよう。

*暦年齢 エバーグリーンの課題を追求するために必要なのは老い方を変えることであり、具体的には、高齢化社会をめぐる議論に正面から異を唱えるべきだと著者は主張する。老いについての画一的な考え方と、その考え方が絶対的に正しいという固定的な発想を捨てるべきだということである。

また、エバーグリーンの課題に向き合ううえでは、暦年齢中心の考え方から脱却する必要もある。暦年齢は、すでに過ぎてしまった日々を数えるという性格上、長寿化により増える人生の日々と、それがさまざまな意思決定に及ぼす影響に目を向けることができない。しかも、私たちの老い方を変えることはできるが、暦年齢の重ね方を変えることはできない。(79〜80ページより)
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