「老後なんてまだ先のことでしょ」と定年になってから「老い」を考え始めるのでは遅すぎる納得理由

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そして、自分の人生終盤の時期に可能性があることを信じ、未来のために行動するべきでもあるだろう。

つまり、よりよく生きることが大切であるように、よりよく老いることもまた大切なのだ――という表現は抽象的すぎるかもしれないが、そもそも「よりよく老いること=よりよい老い方」とはどのようなものなのか。その部分をあらためて確認する必要がある。

よりよい老い方をするとはどのようなことか

私たちの肉体は、複数の構成要素が互いに結びついたシステムである。そのひとつひとつの構成要素がダメージの蓄積を経験することになるわけだが、当然ながらそのペースは一様であるとは限らない。

だが、やがてダメージがある水準に達すると、いくつかの構成要素はうまく機能しなくなる。もちろん肉体はそうした状況に対処する力を持っているが、うまく機能しない構成要素が増えるほど、まだ機能している構成要素への負担は大きくなるだろう。

すると、ほかの構成要素の機能低下も加速しはじめ、「ゆっくりと、そして突然に」老化のプロセスが進んでいくわけだ。

なお、「ゆっくりと、そして突然に」を前提に考えた場合、よりよい老い方をするための方法は2通りあると著者は指摘している。

まずひとつは、「ゆっくりと」の段階をいっそう「ゆっくり」にすること。そうして死亡率を下げ、フレイル(加齢による心身の衰え)の度合いを軽減するということだ。そうすれば、フレイルの進行と死亡率の上昇のカーブが緩やかになり、より長く、より若々しく生きられるわけである。

もうひとつは、「突然に」の段階を「いっそう突然に」するというもの。違和感を覚えられるかもしれないが、よりよい老い方をするために必要なのは、老化のプロセスを加速させることではなく、そのプロセスを減速させることではないのかと著者は考えているのだ。

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