43歳で再就職、ある女性のキャリアの軌跡 女の人生につきまとう「やめスイッチ」

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縮小

下の子どもが小学校に上がり、やっと訪れた再就職のタイミング。星野さんはここぞとばかりに職探しを開始した。入社したのは大手メーカーの傘下にある美容サービスの会社だ。サブマネジャーとして、サロンの運営や広報、メニューの開発などを担当。パソコンスキルも独学で身に着け、家事のやりくりをしながらこれまでのブランクを取り戻すかのように懸命に働いた。ところが1年ほどすると、親会社の事業縮小に伴い会社が閉鎖されてしまう。

介護のために2度のやめスイッチ

振り出しに戻ってまた職探しからやり直しだと思っていたところ、サロンと取り引きのあった広告代理店から声がかかる。星野さんの仕事ぶりを見ていた担当者が仕事を紹介してくれたのだ。新しい仕事はコンベンションやイベントのディレクション。ところが、仕事を覚え、順調に滑り出したかと思った矢先に、またもその仕事を手放すことになる。義母が病に倒れてしまったのだ。星野さんは自らやめスイッチを押して、子育てと義母の介護に専念する日々を送った。

星野さんが再び働き始めたのは、それから7カ月後のことだ。離職期間が長くなるほど就職に不利に働くことは承知していた。そのため、義母が他界した後、すぐに就職活動を始めた。入社したのは、ネットでたまたま見つけた不動産会社。契約社員としてマンション管理の人材マネジメントを行うことになった。業界は初めてでも人材マネジメントの経験ならある。星野さんはすぐに仕事を覚え、活躍した。

ところが働き始めて1年ほど経ったある日、今度は実父が病に倒れてしまう。子育てと異なり介護にはゴールが見えない。しかも年を追うごとに介護の状態は重くなる。ここで仕事を辞めたら、いつまた社会復帰できるかもわからない。それでも、実の父親にできるだけのことはしたい。悩んだ末に星野さんは再びやめスイッチを押した。

今年2月に父親が他界し、これからの生活を考え始めた星野さんだが、これまでのようにすぐに就職活動を再開する気持ちにはなれなかった。

「30代の頃に抱いたような仕事に対するわくわく感は確実に薄れていました。入社してすぐに結果を出すことにこだわってきた私は、これまで就職活動のたびに『私は会社に貢献できます』と力強くアピールできました。ところが、その自信がなくなっていたんです」

そんなときに友人に誘われたのが明治大学のプログラム。さっそく入学願書を提出した。ブランクのある星野さんにとっては、授業についていくうえで苦労する点も多かったが、内容は濃く、程よい緊張感の中でモチベーションは高く保たれた。

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