働き方を変えてきた女性たちの軌跡と覚悟 子ども優先で決断した「やめスイッチ」

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(写真:jazzman / PIXTA)
保活の壁が取りざたされるが、子育ては保育園に入れば終わるわけではない。子どもが大きくなればなったなりの悩みがあり、思いもよらなかった壁が出てくることもある。小学生の子どもを持つ2人の女性に、ぶち当たった壁について話を聞いた。

大震災が変えてしまった、ある一家の生活

この春、独立して働くことを決めた阿部麗香さん(40)は、小学5年生の子どもの変化をきっかけに働き方を変えたひとりだ。

阿部さんの社会人生活は大手証券会社の福島の支店からスタート。営業として駆け回り、上司からの推薦で総合職への変換する手続きの話が持ち上がるも、医療系の仕事に従事していた交際相手が「仕事は家庭を守って働ける範囲にしてほしい」と望んだため、阿部さんは自分の仕事をあきらめた。それでも何か働きたいと思い、結婚後はテーブルコーディネーターの資格をとり、子育ての傍らできる範囲で講師業をして暮らしていた。
そんな中、東日本大震災に見舞われた。

実家のある神奈川での避難生活をきっかけに、家族の生活は大きく変わった。子どもがPTSD(心的外傷後ストレス障害)となり、福島に帰ることに怯えるようになったのだ。「福島で暮らしたい」という夫との間に溝が生まれ、別居することになる。

離婚も視野に入れての生活を考え始めたころ、講師時代から繋がりのあったイベント会社(埼玉県)から「うちで社員として働かないか」と誘いを受けた。

「就職活動もしましたが、苦戦していましたし、この会社の方針に魅かれるものがありました」

いざ働き始めると、出張も多く、子どもが寝ているうちに家を出て新幹線に飛び乗り、電車の中から電話で子どもを起こすという日も。気づけば家に仕事を持ち帰ることも多くなっていた。

主婦の再就職の難しさを身に染みて知っていたからこそ、正社員で迎えてくれた会社になんとか貢献したいという気持ちは強く、成果を出そうと躍起になって働いた。

「自分が壊れるか、子どもが壊れるかの瀬戸際だったと思います」

先に変化があったのは子どもの方だった。以前はなんなくできていた漢字のテストがまったくできなくなり、学校から呼び出されることも。子どもの持病も見つかり働き方を変えようと考え始めたときに、子どもから「中学受験をしたい」と切り出された。これが、阿部さんが「やめスイッチ」を押すきっかけとなった。

「実は福島で小学校受験をしていました。合格していたのに震災で入学できなかった。中学受験は考えていませんでしたが、これをきっかけに、少し子どもに寄り添う時間を作ろうと心が決まりました」

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