「フランス・ベストシェフに選ばれた日本女性」ロックダウン、共同経営者との決別を経て、厨房設備のない小さな店で《再出発》した理由
さらに2014年、『ミシュラン』同様にフランスでは良く知られるレストランのガイドブック『ゴ・エ・ミヨ』で2つコック帽、14点を獲得(最高は5つ、20点満点)。新たな切り口で一歩を踏み出した料理人に与えられるイノベーション賞も受賞した。
2017年にはパリの大統領官邸でマクロン夫妻が開催する晩餐会に招待された。そして、ミシュランのセレクテッドレストラン(おすすめレストラン)にも選ばれ、立て続けに注目されていく。

漂う不穏な空気、ロックダウン、そして限界……
シェフとしての有里さんの注目は年々高まっていたが、水面下では不穏な空気がじわじわ広がっていた。
話は少し遡る。2016年、有里さんが働くレストランは移転して規模が大きくなった。有限会社から株式会社となり、オーナーは社長と呼ばれるように。一方で、大きな投資によりレストランの借金が膨張していった。オーナーと有里さんの間に銀行という第三者が介入したことにより、2人の距離は少しずつ開き始めた。
そして、世界中でコロナが猛威を振るい始める。政府の緊急通達で、レストランは2020年3月15日から突如営業停止。3月17日からフランス全土はロックダウンに入り、政府から企業に支援がでた。それを受けるには前年度の決算がプラスである必要があったが、その年の決算は赤字。有里さんは「とにかく会社を立ち直らせなければ」と思い、自費で会計士と弁護士を雇い、会社の数字を最初から洗い直した。
その結果、詳しくはここには書けないが、経営の方向性の相違が鮮明となり、オーナーの考えについていけなくなった。その結果、オーナーとの間に決定的な亀裂が生じる。

さらに、銀行と直接やり取りをしてみて、銀行は有里さんを一人の共同経営者として見ていないことが分かった。女性だし、外国人だし、ネイティブのようにフランス語を喋れるわけではないから……。
この混乱のなか、経済的な理由からチームメンバーの日本人シェフを解雇せざるを得なくなった。そのシェフは信頼のおける料理人で多くのことを勉強させてもらったという。しかし経営は限界。「別のお店に話をつけてあるので、移っていただけませんか」と、泣く泣く解雇を伝えた。
レストランを立て直すため、有里さんはギリギリまで粘ったが、自分が利用されているという気持ちが拭えなくなり、限界に達した。弁護士も会計士も「君がそこまでやる必要はない」と言った。「もう終わりにしよう」。2021年3月31日、辞表を出した。約10年間の共同経営だった。
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