「フランス・ベストシェフに選ばれた日本女性」ロックダウン、共同経営者との決別を経て、厨房設備のない小さな店で《再出発》した理由

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まずはフランスからスペインまで徒歩で巡礼旅に出て、ついでに現地を視察。33歳で再びフランスに渡り、ポーの語学学校へ入学した。なお、巡礼旅で意気投合したフランス人男性のミッシェルさんは、偶然にもポー在住で現在の夫となる。

「日本人が創るおまかせ料理」がポーの街で評判に

2010年。語学学校に通い始めて半年経った頃、ポーにあるお茶専門店のフランス人オーナーと意気投合した。併設する和室のティールームを使って「一緒に楽しいことをしたいね」と盛り上がる。オーナーは個人規模の経営だったため「人を雇うのは難しい」と言われ、共同経営者として働くことを決めた。

意外にもポーには日本に興味があるフランス人が多い。フレンチを学びたいと思っていたが、ここは柔軟に日本の家庭料理を生かしたフュージョン料理を提供しようと考えた。34歳になっていた有里さんは、今からフランス料理業界に足を踏み入れるよりも、目の前にひらけた道を歩むことにしたのだ。

ポー
ポーは内陸にあるため、海がない。有里さんが来た15年前には、お肉文化の土地に住むポーの人々はお刺身はもちろん、魚料理には馴染みの薄い地元民が多かったそう(筆者撮影)

当時のポーには日本人の料理人がいなかった。客は「日本人が創るおまかせ料理」を面白がり、人気店となっていく。マグロの霜降りなどが珍しがられ、6品で35ユーロ(約6000円)のメニューを作ると、最初は客は2人だけという日もあったが、どんどん注文が増えた。

初めは有里さんとオーナーの2人だった店に、日本人とフランス人のサービス係や日本人のシェフが徐々に加わり、時間をかけて「チーム」が出来上がっていった。

ポー
ポーの街並み。夏は21時半でもこの明るさだ(筆者撮影)

2013年のある日「飛行機に乗るから急いでいる」と言う男性客がやって来た。有里さんはおこぜを唐揚げにし、なんとなくその骨も素揚げにして出してみた。その客こそが偶然にもフランス国内で影響力のあるフードガイドブック『ル・フーディング』の当時の編集長だった。

数カ月経ち、その年の『ル・フーディング』ベストシェフに有里さんが選ばれたと通知が来た。有里さんによると「ある意味ラッキーだった」と言う。その年のベストシェフ選出のテーマは「厨房内での性別は重要なのか?」だった。つまり「女性の厨房への進出」を取り上げたものだったのだ。しかも自分は外国人、そしてパリではない地方都市在住。「その3つがうまく重なったと思います」と言う。同年、『ル・フィガロ』紙が数名選出した有望な30代のシェフに有里さんの名前が挙げられる。

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