6400万人が来た《55年前の大阪万博》写真でわかる圧倒的な盛り上がり!「月の石」に人が殺到、警備会社の発展のキッカケになったという逸話も

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55年前の大阪万博
アメリカ館に展示されたアポロ8号の指令船(撮影:東洋経済写真部)
この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年、1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第9回となる今回は、1970年の「大阪万博」の写真を紹介する。

「当初想定の倍」6400万人が来場

開会直前となり、ようやく盛り上がりを感じられつつある大阪・関西万博。今回の万博とどうしても比較されるのが、55年前の1970年に大阪で開催され、大成功を収めたとされる日本万国博覧会だ。

その、通称・大阪万博、EXPO'70を振り返ってみると、現在とは比べようもない日本国民の期待と熱気、会場に充満していた万博本来の目的である各国の技術と国力アピールへの情熱を感じる。

なにしろ55年前のことであるから、開催時の人気、会場での混雑などを実際に知る人は、現在60代以上になっているはず。当時、大阪万博を訪れた人は当初想定の約2倍を超える約6400万人で、日本国民の約6割にあたり、2010年の上海万博(約7300万人)に抜かれるまで最高記録だったというから驚くばかりだ。

万博
(撮影:豊永邦男)
【写真24枚】1970年の大阪万博の写真。月の石に殺到する群衆、巨大ロボットも。パビリオンの位置関係が当時の国際情勢を表していて興味深い!

そして、70年大阪万博を象徴するものとして今もよく知られているものといえば、岡本太郎作の「太陽の塔」。そして、これを見るために人々が殺到したという「月の石」。また、今思えば最新技術なのか大阪ならではのお笑い家電なのかと戸惑う「人間洗濯機」だろう。

太陽の塔
(撮影:東洋経済写真部)
太陽の塔
(撮影:東洋経済写真部)
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