
海外旅行が一般的ではなかった時代
そして、万博で注目を浴びたのは、今から見ると奇抜でおもしろ建築満載のパビリオン群だった。会場の写真を見ると世界各国の、それぞれの地域性を主張するパビリオンが並び立つ間に、日本の奈良天平時代の七重塔をかたどった企業パビリオンが見えるなどシュールな風景が展開している。
また、世界各国パビリオンが並ぶ会場を歩き、館内に入れば現地人のコンパニオンがもてなしてくれるという場は、1964年に海外旅行が自由化されて間もない日本においては、大阪にいながらにして世界旅行ができる場と受け取られたはずだ。
当時は東京や大阪などでの都市部でも西洋人が街を歩いている姿はめずらしく、全国から訪れた日本人の観客はその姿に驚き興奮し、初めて会った誰だかわからない外国人にサインを求めるという行動も続出したという。

会場最大規模の日本館や、アメリカ館、ソ連館のほか、話題になり人気を集めたパビリオンというと、外面が鏡貼りのピラミッド状の建物だったカナダ館。
フランス館内では自国の食文化のアピールが積極的に行われ、アコーディオンの生演奏とともに、全員フランス人のウェイターがエスカルゴなどのフランス料理をサービスするレストラン、カフェなどが運営されていた。
ドイツ館の出展テーマは「音楽の花園」。全館に音楽が流れ、地上空間は噴水とドイツの四季の花々が咲き乱れる花園、展示空間はすべて地下に収まっているという趣向だった。


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