「月の石」はアメリカ館内に展示されたものだった。1970年当時は東西冷戦のただなか。アメリカ、ソ連は、お互い宇宙開発の成果を競い、この70年万博ではアメリカ館が、アポロ8号の司令船実物、月着陸船の実物、第一回着陸時に宇宙飛行士が月面に残してきたものと同じ機械装置などとともに、アポロ12号が月から持ち帰った“月の石”を展示した。

これは万博一の話題となり、アメリカ館は、総来場者の4分の1超に当たる1650万人が訪れた大人気パビリオンとなる。
対するソ連館は、人類初の宇宙飛行を実現したガガーリンの肖像写真、ソユーズやヴォストーク、コスモスなどの人工衛星や宇宙船などを展示。

パビリオンの「大きさ」「位置」は国際情勢を反映
アメリカ館の建物は、当時最新の空気膜建築の無柱空間でガラス繊維の屋根からは自然光を取り入れることができた。この工法は、万博で注目を浴び、後の仮設建築にも数多く取り入れられるようになり、万博のパビリオン建築の標準スタイルともなった。また、その後一般的になり技術も向上した空気膜建築の工法では、「東京ドーム」も建設されている。
一方のソ連館は、会場内でもアメリカ館、日本館とともにひときわ大きいパビリオン。会場一高い高さ109メートルの尖塔状の建物だったことでも目立っていた。
館内の面積は、日本館を超える2万5000m2で会場で最大。地上3階、地下3階の建物内にはコンサートホールや映画館もあり、目玉展示である宇宙開発のほか、1970年に生誕100年だったレーニンの生涯とソ連の成立や、ロシア文学、バレエ、サーカス、映画など各分野の文化を紹介する展示で埋め尽くされた。

そんな米ソパビリオンにおいて配慮されたのが、両館の会場内における配置だった。万国博覧会においては毎回、海外各国のパビリオンの会場内配置にその時々の国際情勢が反映されるそうで、70年大阪万博の会場マップを見てみると、アメリカ館は南側。そしてソ連館は、アメリカ館とは会場でもっとも距離を置いた北側の遠く離れた場所に置かれていたことに、当時の東西緊張が読み取れる。
もう一つの人気展示品、「人間洗濯機」は家電メーカーである三洋電機グループが出展した「サンヨー館」内に展示されたもの。
“人間洗濯機”とは通称のようで、その正式名称は「ウルトラソニック・バス」。卵型のカプセルの中に頭を出して座るだけで、マッサージボールや超音波で自動的に入浴ができるというもので、女性モデルによるデモンストレーションには会場内の注目が集まった。
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