「人間はなぜ働き続けるのか?」休みなくひたすら作業…産業革命で生じた過酷すぎる労働環境
伊 達 「もう1つは、欠乏の無限の連鎖という説明です。農耕社会で生産性が向上すると人口が増え、増えた人口のニーズを満たすために耕作地を拡大しなければならないし、新たに誕生した都市部のニーズにも応えなければならない。人間の欠乏=欲求は永遠に続き、人間はそれを満たすために懸命に働き続けなければならないという説明です」
真 由「生産性の向上を求めるようになると、逆戻りが難しくなり、それが雪だるまみたいに大きくなって、永遠に続く可能性があるってことですか」
さくら「人類にとってその転機が農業革命であり、農耕社会への移行であったということでしょうか」
伊 達「うん、そういえるかもしれないね。そしてその後も、人間は同じような転機を経験することになります」
産業革命と工業社会への移行
農耕社会では、古代ローマのように洗練された生産性の高い農業文明をもっていた地域でも、人口の5人に4人は農村部に住み、5人に1人は都市部で農耕以外の専門的な職業に就いていたといわれています。農耕社会での生産活動は、主として家族で営む農場や工房で行われていました。
これを変える大きな転機となったのが、18世紀後半にイギリスを起点として始まった産業革命です。
1769年にイギリス人のジェームズ・ワットが蒸気機関を作り、1814年にはジョージ・スティーブンソンが蒸気機関車を作り出して、1825年に蒸気機関車が実用化されました。
化石燃料エネルギーを動力としたこれらの機械の発明により、人力や家畜の力に頼らず、大工場で大量に製品を生産することが可能になり、大量に生産された安価な製品を蒸気機関車や蒸気船によって遠くまで運ぶこともできるようになったのです。
このイギリスを起点とした産業革命が各国に広がっていくなかで、それまで小規模の工房で親方と職人・徒弟たちが手作業で作っていた製品の多くは競争力を失っていきます。生産の拠点は、小規模の家族的経営(家内制手工業)から都市部の大工場に移っていくことになるのです。
この都市部の大工場では、小規模の工房で培ってきた技能が市場価値を失い工場で働かざるをえなくなった者や、農村を離れて都市に移動してきた者などが働いていました。
そこでは、日当たりや風通しの悪い環境で、1日12時間から15時間、祝日や休暇はなく、場合によっては日曜休日もなく、単純な反復作業に従事させられるという過酷な状況がみられるようになりました。
この工場労働者の困窮状態は、本格的な工業化の進展(19世紀)の前に起こっていた市民革命によって、より深刻さの度合いを増すことになります。例えば、1789年にフランス革命が起こり、1804年には民法典(いわゆる「ナポレオン法典」)が公布されていました。
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