「人間はなぜ働き続けるのか?」休みなくひたすら作業…産業革命で生じた過酷すぎる労働環境
この市民革命は、「自由で平等な個人」が締結した「契約」に基づいて社会を形作ることを目指すもので、それ以前の封建的な規制・束縛(例えば国王や領主による強権的な命令・支配)から個人を解放するという側面をもっていました。
しかし、これは同時に、人びとから伝統的な共同体による保護や安定を奪うことも意味していました。「個人の自由」を基盤とした社会は、職業と結びついた共同体的な保護(同業組合)や小規模の工房での家族的なつながりを奪いとりました。人間的な保護を奪われた「個人」は、「自由で平等な契約」の名の下で、工業化の過酷な波にさらされることになったのです。
当時の市民法秩序の下では、共同体による保護を奪われた状態で過酷な労働を余儀なくされることも、個人の自由な「契約」に基づくものとして適法だと考えられていました。
さくら「農業革命も、産業革命も、働いている人を過酷な状況に追い込むことになったんですね。歴史って、社会を少しずつ進歩させて、人びとを幸せにしてるんだって何となく思ってたんですけど、そうとばっかりはいえないんですね」
悠 太「それに、市民革命って、市民にとっていいことだって思ってたんだけど、いいことばかりじゃなかったんですね」
真 由「その過酷な状況って、今日までずっと続いてるんですか」
伊 達「いや。人間は、そこにブレーキをかけるんです。民主主義というルールを生かして」
労働法の誕生
工場労働者の悲惨な状況が深刻化していった19世紀のヨーロッパで、この状況にブレーキをかけるものとして登場したのが、労働法でした。
労働法は、次の2つの点で、市民革命がもたらした「個人の自由」を修正するものでした。
1つは、労働時間規制や社会保険制度など、労働者に一律に与えられた「集団的保護」です。これは、労働者を危険・過酷な労働や生活の不安定さから守るという観点から、当事者間の契約の自由に制約を課し、労働者に人間的な保護を与えようとするものでした。
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