"田舎の神童"が学歴至上主義に染まった原体験、「天才と勘違いした私は"学歴狂"になった」、塾でVIP待遇・ヤンキーからも一目置かれる存在に
実際、ある先生から「いくらいい高校に行ってもお前みたいな奴はダメだ」と言われたこともあった。私は、その先生が大した高校を出ていないからやっかんでいるのだろうと本気で思っていた。だが、今考えれば、先生の言葉は正しかったのだ。
もし私が東京に生まれ、もっとすごい人間がたくさんいるということを肌で感じていたら、それほど調子に乗ることもなく、裏を返せば限界を超えるような努力をすることもなく、学歴にこだわることもなかったかもしれない。
少なくとも東大や京大には入っていなかったと思う。その場合、今よりも良い人生になっていたのか悪い人生になっていたのかわからない。わからないが、田舎町に生まれ勘違いして調子に乗ったこの人生を変えることはもうできない。
中田英寿を超える!と称賛された日
最終的に、私は某R高校と東大寺学園高校とラ・サール高校に合格し、母を狂喜させ、塾の先生たちを狂喜させ、クラスメイトたちに祝福された。友人たちは、当時サッカー界で大活躍していた中田英寿を引き合いに出しながら、「佐川君は日本におさまる器じゃない」と言った。「世界のナカータを超えられるのは恭ちゃんしかいない!」
私は度外れたアホだったので、「確かにな」と思っていた。というか、小学校時代にサッカー部を即やめた経験からサッカーが嫌いになっていたので、「中田とか球蹴ってるだけやん」と本気で思っていた。
私の脳内では、セリエAで活躍することより、東大寺に合格することの方がはるかに上だったのだ。私はそのまま、家から通える某R高校に進学することになる。
特進コースだったとはいえ合格した中では当時もっともレベルの低い高校だったので、私はそこで軽くトップを取り、大学は最低でも東大、もしそれが簡単すぎるようなら海外の大学も視野に入れようと思っていた。そんな調子だったので、私はまさか自分が地獄の高校・浪人生活を経て、命からがら京大文学部に滑り込むことになろうとは、夢にも思っていなかった。
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