"田舎の神童"が学歴至上主義に染まった原体験、「天才と勘違いした私は"学歴狂"になった」、塾でVIP待遇・ヤンキーからも一目置かれる存在に
事態が変わり始めたのは小6になる直前、友達に誘われる形で地元のそこそこ大きな学習塾に入り、算数と国語のテストをはじめて受けた時のことだった。そのテストの成績が小4からずっと塾に通っている生徒たちよりも良かったとかで、先生が「この子はものすごい逸材です」みたいなことを母に言ったらしいのである。
私の住んでいた滋賀の田舎町で「ものすごい逸材」と言えば、公立の「彦根東高校」に行くものと相場が決まっていた。滋賀の公立ナンバーワンと言えば「膳所高校」なのだが、私の時代にはまだ学区制があり、私のエリアから膳所の普通科を受けることはできなかった。
私はまず彦根東高校を目指すという目標を立てられ、真面目に塾に通った。とはいえ、小学校時代にはドラクエやFFやダビスタをやりまくっていたし、彦根東の価値もよくわかっていなかった。なんかまあ、塾行ってこのままやってりゃ入れそうやな、という感じだった。
そのまま公立の中学に入ると、定期テストや実力テストというものが始まる。私はそこで5教科480〜495点ぐらいを取りまくり、それが結構ヤバイということになった。私は「天才」ということになり、私も「僕は天才なのでは……?」と思うようになった。
塾ではVIP対応
一方、塾の方でも小学校時代より大規模な全国テスト(と言ってもせいぜい近畿地方が塾の勢力圏なのだが)が行われ、そこで1〜4位ぐらいをコンスタントに取り、やっぱり天才ということになった。天才ということになると、やる気が出る。私は誰に言われるでもなく異常に勉強するようになった。
そこで塾は私に、某R高校や東大寺学園高校、ラ・サール高校を目標にやっていこうと言った(ちなみに、灘は某R高校と受験日が一緒なので受けられないと言われたが、そもそもその塾で全国1位を取っても灘の合格率は20~40パーセントだった。塾自体が灘に対応していなかったのだ)。
いや、近くの彦根東でいいです、とはもはや思わなかった。私はより高い目標を目指して自分に過剰な負荷をかけることに、そしてそれが成果として表れる現実に、快感さえ覚えるようになっていった。
塾の同じ教室には私以外にも2人ほど全国ベスト30に入るぐらい優秀な生徒がおり、塾は「田舎に奇跡的に集ったこの3人の宝を育てなければならない」みたいになって、なんと私のいたいわゆる特進クラスが特進A、特進Bに分割された。
わざわざ塾が私たちのために編成を変えたのである(これは記憶違いの可能性もあるのだが、私の通っていた教室には最高レベルのクラスが設置されておらず、たぶんそれを勝手に作ることもできなかったので、上から2番目のクラスを2つに割り、片方を疑似最高クラスとして扱ったみたいな感じだったと思う)。
私はこのVIP待遇を見て自分を完全に天才だと確信した。これは田舎特有の現象だろう。東京や大阪ならもっとレベルの高い塾が乱立しているし、周りに自分よりできる人間はいくらでも見つかったはずだが、私のいた滋賀の田舎町には、私を超える人間が見当たらなかったのだ。
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