結局のところ「信長」は革命児だったのか、否か 時代により揺れ動く評価と家臣たちの不遇

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信長には、神仏も、八百万の神的な発想もなかったという(写真:daysgoby_JPN/PIXTA)
1月17日から公開された映画『室町無頼』。その原作の著者で直木賞作家の垣根涼介氏が、「やはり戦国時代を象徴するアイコンである」と捉えている織田信長は、関西学院大学教授の早島大祐氏によれば「新時代の申し子」でもあるという。
歴史学者の間でも評価が分かれる信長の、真に「革命的な」部分は、いったいどこなのか。2人の対談が収録された書籍『室町アンダーワールド』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

相対化論という流れの中で揺れ動く「信長評価」

早島大祐(以下、早島) 僕は2009年に「織田信長の畿内支配-日本近世の黎明」(『日本史研究』565)という論文を書いたんです。これは端的にいえば、信長は道路を広くしました、という内容なんです。

垣根涼介(以下、垣根) 信長は相当そういうことをやっていましたね。

早島 各地でインフラ整備をした。その後、戦国史研究会の『織田権力の領域支配』という本が2011年に出て、そのもととなったシンポジウムが2010年に行われたのですが、そのときは手ひどく批判されましたが。

垣根 そうなんですか(笑)。

早島 2000年以降になると、織田政権の相対化が始まります。織田信長の業績とされるものは、他の戦国大名も似たようなことをやっている、という。信長は革命児といわれているけど、全然そんなことはない、と。そういう流れのときに僕が信長の画期性や革新性を訴える論文を出したので、いいカモが現れたと血祭にあげられたんですね(笑)。

一方で、今谷明さんの三好政権論という概念を引き継いでいるのが、天理大学の天野忠幸さんですね。今谷さんの三好政権論というのは、三好政権も中途半端な政権であったという結論に至っています。ネガティブ評価ですね。それに対して天野さんの場合は、これをポジティブ評価に転換しています。さらに天野さんは、三好政権を「プレ織田政権」と位置づけたんです。

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