「織田信長と武田信玄」明暗を分けた真逆の税政策 領主による「税の奪い合い」だった戦国時代
「大化の改新」「源平合戦」「明治維新」等々、歴史の大きなターニングポイントには、必ずと言っていいほど脱税問題が絡んでいる、と語るのは元国税調査官の大村大次郎氏。
大村氏は、「脱税」だけでなく領主たちによる税の奪い合い「奪税」が横行していた戦国時代の覇者・織田信長の力の源泉もやはり「税」だったと指摘します。
※本稿は、大村氏の著書『脱税の日本史』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
税の奪い合い「奪税」になっていた戦国時代
戦国時代には、幕府や朝廷への納税はほとんど機能していませんでした。「では誰も税を払わなくていいか」というと、そういうことではなく、各地の有力者や豪族が勝手に税を徴収していたのです。
戦国時代は脱税だけではなく、「奪税」の状態になっていたのです。
室町時代後半から戦国時代にかけての年貢は、複雑な仕組みとなっていました。当時、日本の農地の大部分は荘園となっていましたが、本来、荘園というのは荘園領主が持ち主でした。荘園領主というのは、自分の領地から遠く離れて住んでいることが多く、実際の管理は荘官や地頭に任されていました。そのうち、荘官や地頭の力が強くなり、彼らが実質的な領主になっていったのです。
そうなると、どういうことが起きるでしょうか?
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