上杉謙信を越後に縛り付けた「肩書」へのこだわり 「義の武将」は作られたイメージにすぎない

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上杉謙信は、室町幕府が示す「秩序」を信頼していたという(写真:キヒロ/PIXTA)
戦国時代きっての武略を誇り、けっして他国への侵略をしない「義の武将」というイメージの強い上杉謙信ですが、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏によれば、そうしたイメージは、戦国大名としての「無能さ」の裏返しという可能性もあるといいます。
本郷氏が指摘する、上杉謙信が他国を侵略しなかった本当の理由とは。
※本稿は、本郷氏の著書『日本史の偉人の虚像を暴く』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

作られた「義の武将・上杉謙信」というイメージ

上杉謙信は、「敵に塩を送る」の逸話にもあるように、「義」の武将であると言われます。みだりに敵国を攻めたりせずに、大義名分のない、私利私欲に基づいた戦いは決してしない、神仏を厚く敬う義の武将。

そんなイメージで語られることのある上杉謙信ですが、確かに領国自体は越後一国から出発して、そこまで広がってはいません。しかし、領土を拡張しようとしなかったわけでもないのです。越中や関東地方に兵を出してもいます。ただし、ある時点まではそこを上杉領に組み込むということはしませんでした。

つまり、敵の領地を攻めたりはしない「義の武将」というのは、あくまでも作られたイメージであり、虚像に過ぎません。ではなぜ、謙信はそこまで領土拡張に向かわなかったのか。

ひとつには、そもそも謙信が一国の主としては大した手腕を持たず、統治が下手だったという身も蓋もない説が考えられなくもない。そのため、他国に進出しても、そこを自分の新しい領地にしようとする術が、若い頃の謙信にはなかったのかもしれません。

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