結局のところ「信長」は革命児だったのか、否か 時代により揺れ動く評価と家臣たちの不遇
出世させるからもっと働け? まあ当然です。外資系企業などはみんなそうです。ただ外資の場合はどんどん入れ替えを行うけど、日本人のウェットな感覚にはいつまで経ってもなじまないだろうな、という印象はぬぐえませんね。
早島 垣根さん、さすがだなと思いますね。端的にいえば、信長は統一したルールで統治しようとした、ということなんですよ。道も同じ幅で統一させますし。
垣根 合理的ですからね、そっちのほうが。規格を統一したほうが、おさまりがいい。お金にしても単位にしても。
早島 それを、たぶん従来の戦国大名は徹底しなかったんでしょうね。
垣根 信長って、ある種の文明をつくりたかった人なのかもしれないですね。
精緻な「検地マニュアル」を残していた明智光秀
早島 僕も『明智光秀』に書いたのですが、当時は枡などの大きさもバラバラだったんですよ。そういう度量衡や道路の規格を統一しようとするのは、政策というより思想じゃないかと。
ところが一方で、ひとりの人間なのでやれることには限界があって、信長の場合は光秀や羽柴秀吉や柴田勝家などにやらせるんですよね。当然そこでムラが出てくる。ひとりの人間では細かいところはチェックできないですから、配下に命令する。
柴田の場合、現地で検地する際、丈量(じょうりょう)検地といって自分たちで計るんです。彼はずっと北陸にいて動かないので、おそらく暇だったのではないかと思うんですが(笑)。
明智の場合は、非常に忙しかったので征服地では現地の人間に調査させて、データを提出させてそれをまとめる形にしたんです。つまり自分ではいかない。厳密にいえば光秀の場合は指出(さしだし)なんです。現地で直接計らない。
垣根 代行をたててやっている感じですね。
早島 そうです。ただその場合はどうするかというと、マクドナルドのようなチェーン店と同じでマニュアルが精緻になるんです。そういうマニュアルが残っているのは光秀だけなんですね。「家中軍法」というのが残っていて、細かいことを書いているんです。秀吉の場合、これは愚直だなと思うのですが、やっぱり自分たちで計るんですよ。