「お客さんに望まれているから作っているということは特になく、あくまで自分が作りたいから作るスタンスでした。地方に食べ歩きに行って刺激を受けたり、都内の食べ歩きの中からヒントを見つけて作ったりすることもあります」(樹庵さん)
もともとは月1回ぐらいのペースで限定ラーメンを出し、1~2週間提供していた。
初日に40~50杯出て、その後少しずつ杯数が落ちて20~30杯になるというペースだった。全体で1日大体100~120杯出るので、限定ラーメンの割合は2~3割だった。
その中でも横浜家系ラーメンや富山ブラックは大ヒットし、初日から100杯以上出ることもあった。
コロナ禍に、限定ラーメンの頻度を増やした
その後、コロナの時期から明確に限定ラーメンの頻度を上げた。
コロナで緊急事態宣言が出るなどしてお客さんの数が急激に減ってから、お客さんを取り戻すために限定ラーメンの頻度を上げていくことにしたのだ。次から次へと限定ラーメンを連発し、毎月何かしらの限定を提供するようにした。
「限定を連発してから出る杯数のベースが上がってきたんです。初日に100杯出るのが当たり前になってきて、その後落ちても50杯はキープできるようになりました。それに乗じて全体の売り上げも上がっていきました。
限定を常に用意するようになったので、それによって“限定ラーメンをやっている店”として認知されたのではないかなと思います」(樹庵さん)
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