この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)年からすでに35年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、来年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第3回となる今回は、1960年代以降の東京・秋葉原の写真を紹介する
第1回:『60年前の「アジアっぽい東京」が今の姿になるまで』
第2回:『40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで』
終戦直後は「露天商」の街だった
太平洋戦争後の1940年代後半、秋葉原駅周辺にアメリカ軍が放出した軍事物資や電気部品を売る露天商が集まるようになった。
高架下の電波会館、ラジオセンター、駅前のラジオ会館、ラジオデパートなどは、これら露店の立ち退き先としてできた店舗で、いずれも昭和20年代に発祥したものだ。
この時代の秋葉原を象徴するものは「ラジオ」そして「無線」だった。まだテレビのない時代、ラジオはメディア、娯楽の中心で、街には無線関連の機器や真空管アンプ、電子部品などを扱う店が並び、この時代の秋葉原は「ラジオ街」として認識されていた。
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