「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史 アナログ写真を見れば歴然「60年前と今」街の差

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1950年代~60年代になると、戦後復興、高度経済成長とともに「三種の神器」と呼ばれた洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビなどの家電製品が、日本の各家庭に普及していくようになる。

それらが主力商品となり、秋葉原でも家電を扱う小売店が増え、家電を安く買える街という情報を発信。家電を買うなら秋葉原という家族連れが訪れる街となる。

現在もJR秋葉原駅には電気街改札という改札口が存在するが、この街が電気街と認識され出したのはこの頃のことだ。

「三種の神器」のひとつ、洗濯機が並ぶ当時の家電売り場(写真:1963年5月、東洋経済写真部撮影) 
家電売り場で扇風機を物色する男性たち(写真:東洋経済写真部撮影)

家電量販店が続々出現の1970年代

1970年代には中央通り沿いに、第一家庭電器、オノデン 、ラオックス(朝日無線)、サトームセン、ヤマギワなど大型の家電量販店が並び、各店がテレビコマーシャルを放送して客を呼ぶ時代となった。

その70年代から、日立、シャープ、NECなどの国産のコンピュータは製造販売されていた。まだ、コンピュータ本体も大きく、ディスプレイはブラウン管テレビのように巨大だったが、そんなコンピュータをなんとか手に入れたい、使いこなしたい、中には自分で組み立てて自作したいというマニア達がIC(集積回路)などの電子部品を求めて秋葉原に集まった。

もともとラジオ、無線などの部品を入手できる街であった秋葉原では、国内メーカーがパソコンを製造し始めるとそれらも取り扱うようになり、徐々にパソコンの市場が家電を凌駕するまでになる。

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