「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史 アナログ写真を見れば歴然「60年前と今」街の差

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現在の秋葉原の中央通り沿いには何店かのパソコン店はあるが、家電店で90年代当時からの商品構成を続けているのは駅前の「オノデン」くらい。

オノデン
現在も盛業中のオノデン(写真:1993年3月1日、梅谷秀司撮影)
上の写真から30年以上経った現在も同じ場所で営業を続ける(写真:2024年12月25日、梅谷秀司撮影)

以前の大規模家電店のほとんどは新しいビルに建て替わり、ゲーム関連商品、キャラクターグッズ、フィギュア専門店、外国人観光客向けの免税店などになっている。今やこの街は“世界のアキバ”、日本を代表するポップカルチャーの街になっている。

“基幹産業”になったメイド喫茶

現在の秋葉原はと言うと、平日の昼間も大変な人混みで賑わっている。道をゆく大半は20代前後の男性客だが、外国人観光客も多い。街のあちこちではビラ配りのメイド喫茶のメイドさんの姿も見かける。

夕方以降、中央通り沿いにずらりとメイドさんが並ぶ。このメイドさんたちの列は駅前だけでなく、地下鉄銀座線の末広町駅近くまで約500メートルほども続き、秋葉原名物とも言える風景になっている。

秋葉原
クリスマスの夕方、メイドさんたちがずらっと並ぶ秋葉原の街並み(写真:2024年12月25日、梅谷秀司撮影)

20年ほど前に発祥したメイド喫茶という業態だが、いまだこんなに盛んで、量的にも拡大しているとは。メイドは完全にアキバのアイコンであり、メイド喫茶はこの街の基幹産業ともなっていると言えそうだ。

現在も変わり続けている秋葉原

2024年には秋葉原のランドマークの一つでもあり「肉ビル」としても知られた「肉の万世 秋葉原店」が閉店。現在ビルは解体中。また、駅前中央通り沿いの一等地、エディオン、ラオックス、オノデンなどのある区画の再開発も画策されている。

再開発が画策されている駅周辺エリア(写真:梅谷秀司)

一方で、裏通りに入るとまだパソコン店や電子部品の店が点在し、駅前のラジオセンター内を覗いてみると無線機や真空管ラジオ、蓄音器、音響部品、8ミリ映写機などを扱っている店が密集していて、昭和の秋葉原を味わうこともできる。

現在はメイドさんが街のアイコンとなっている秋葉原だが、こうして昭和戦後からの街の歴史を概観してくると、十数年後、このポップカルチャーの街がまた大きく性格を変えていることも考えられるのだ。常に、アキバの街の風景はうつろっている。

(写真:2024年12月25日、梅谷秀司撮影)
鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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