"黄金パンツ"の92歳ラガーマンが貫く「生涯現役」 40歳以上のラグビーチーム「不惑倶楽部」とは?

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さらに日本の「惑ラグビー」に共感した海外の選手が、自国でもシニアラグビーチームを立ち上げるようになりました。1979年には世界のシニアラグビーチームが集う「ゴールデンオールディーズ・ワールドラグビーフェスティバル」も始まり、これも不惑の仲間といっしょに、ぼくは何度も海外遠征に参加しました。

不惑倶楽部で広がったシニアラグビーの世界

不惑倶楽部に入る前からぼくが所属していたドクターズクラブは、ときどき不惑倶楽部とも試合をしていました。その頃から不惑倶楽部は非常に強いチームで、ぼくらは負けることが多かったと記憶しています。

あるとき、試合が終わったあとで倶楽部の人に声をかけられたのです。「永山くんも、そろそろ40歳だろう? 不惑倶楽部は数え年だからもう入れるんじゃないか? 今度はこっちにも来いよ」と。

当時、ぼくは39歳だったと思います。誘ってもらえたことがうれしくて、「次の試合はいつですか?」と聞きました。すると「来週だよ」と言うのです。

「試合は年に何回くらいあるんですか?」と聞くと、「年間50試合くらいかな」と言うのだから、仰天しました。当時のドクターズクラブの試合数は年に数回。一方、不惑倶楽部はほぼ毎週試合をしているのです(40代のチームの場合)。

これはかなりハードだぞ……と思いました。

しかも不惑倶楽部は、元日本代表選手なども所属する日本でいちばん有名なシニアチームです。そんなところで自分が勝負できるのか……と迷いもしました。でも結局、「不惑倶楽部でプレーしてみたい」という思いにはあらがえませんでした。

ぼくは不惑倶楽部に入会しました。背番号は59。年代別に色が分かれているパンツで、40代は白パンでした。

チームメイトを気遣う筆者
医師である永山さん(写真左)がチームメイトの様子を気遣う場面も(写真:『92歳のラガーマン ノーサイドの日まで』より、撮影:木下美晴)
プレーする永山さん
90歳を超えてもプレーを続ける永山さん(写真右)、ボールに少しでもからむために走る(写真:『92歳のラガーマン ノーサイドの日まで』より、撮影:木下美晴)
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