浪人を決めた新家さんは、前年と同じく、河合塾美術研究所の名古屋校に通う生活を送りました。ここで初めて第1志望を東京藝術大学の美術学部絵画科日本画専攻に設定しました。
「大学に入ったら現役合格の子より下の学年になってしまう。受験勉強のために1年時間を多く使うのだから、まだ誰も行ってないところに行きたいと思ったんです」
新家さんは、名古屋校から東京藝大美術学部絵画科日本画専攻への進学者は1人も出ていなかったことから、まだ見ぬ高みを目指そうと考えました。
新家さんが受験した、1992〜1994年の東京藝大美術学部絵画科日本画専攻の入試問題は以下の通りです。
2次試験:着彩写生(テーマやモチーフを与えられ、鉛筆と水彩絵の具を使って紙に表現する)、面接(※1992年を最後に廃止)
学科(センター試験):3教科 国語・外国語・選択科目(地理歴史・公民、理科、数学から1教科)
※倍率は毎年30倍程度で、女子受験者数と合格者で見ると40倍程度あったそうです。
1浪目の生活は、ひたすら予備校に通い朝〜夕方までずっと実技対策を続けた新家さん。直前期は夜の21時ごろまでずっと残って作品を仕上げたこともありました。
東京藝大の合格を目指してストイックに作品を制作し続けた新家さんは、この年、東京藝大以外に愛知県立芸術大学・多摩美術大学・武蔵野美術大学の日本画専攻にも出願します。しかし、結果はまたしてもすべての大学で不合格に終わりました。
東京藝大1本で挑むもまさかの1次落ち
「意固地になってしまった」と当時を振り返る新家さんの2浪目は、東京藝大1本に絞り、この年も河合塾美術研究所の名古屋校で浪人生活を始めます。
しかし、このころには塾内の日本画クラスで新家さんの実力は最上位。名古屋校から東京藝大1本で受験する人は新家さん1人で、東京藝大合格レベルを間近で見ることができない苦しさを感じていました。
「この1年は自分との戦いという感じでした。私自身にとっては課題ばかりの絵を描いても、講評会では相対的に見るといい作品としての評価をいただいていました。先生もそうだったと思いますが、今まで名古屋校からは合格者がいない大学に挑むので雲をつかむような戦いでした」
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