3浪「東京藝大」黒歴史の浪人を"肯定できた瞬間" 合格後も受験時代の自分にとらわれていた

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二段を取得してからは、燃え尽き症候群のように部活に行かなくなった新家さん。生活は変化したものの、依然として絵は描かず、学校から帰ると「お菓子を食べて漫画を読んでゴロゴロする生活だった」と語ります。

彼女が進路をようやく意識し出したのは、2年生の終わりぐらいになってからでした。初めて河合塾美術研究所・名古屋校の冬季講習に参加して、受験対策をするようになりました。

「同級生のほとんどは建築やデザイン・絵画・彫刻といった美術系の進路を考えていました。私は絵を描いて生きようとは思っていませんでしたが、(学力的に)今から普通の4年制大学に入るのは難しいと考えたのと、早く大学生になりたいという思いがありました。

浪人必須という印象だった東京藝大は、そのときの私には受験対象校ではありませんでした。そのため、現役でも合格者が出ていた愛知県立芸術大学と金沢美術工芸大学の日本画専攻を受けることにしました。専攻を日本画にしたのは、岩絵具の美しさに強く惹かれたからです」

現役で合格できるかも?希望が見えたが…

最終学年になった3年生のときには、毎日学校が終わったら予備校に行って対策をしていたと語る新家さん。

美術系大学を目指す受験生の対策はもっぱら実技対策で、新家さんも実技対策を重ねましたが「意外と頑張れた」と振り返ります。

予備校に入ったばかりのときは「お前、本当に美術科なの?」と先生に言われたほど描けなかった絵も、秋ごろには現役生の中でもそこそこ描ける部類に入ることができ、現役で合格できるんじゃないか……と思えるほどになりました。

濱井正吾 浪人 東京藝大
現役時のデッサン(写真:新家さん提供)

しかしふたを開けたら、どちらも不合格。浪人が確定してしまったのです。

「浪人生になることを一切想像していませんでした」と自身の不合格を驚きを持って受け止めた新家さん。

彼女に浪人を決断したその理由を聞いてみたところ、「その時の自分がいちばん一生懸命になれることだったから」と返してくれました。

「どこにも行くところがないし、働くことも想像できませんでした。小さい頃から『易きに流れる』ことをよしとしない家風もあり、そのとき自分が一生懸命になれるのが美大受験だったので続ける決断をしました」

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