禅僧が「終活フェア」で目にしたシュールな光景 「死んでも生きる気マンマン」の来場者たち
残された遺族に迷惑をかけないため、最後まで自分らしく人生を終えるためなど、「終活」に取り組む人にはさまざまな理由がありますが、その根底には「肉体がなくなった後もここではないどこかで『自分』は続き、姿を変えた自分が残る」という錯覚があるのではないかと、禅僧の南直哉氏は指摘します。
そんな南氏が、市場規模が年間1兆円ともいわれる「終活」ビジネスの現場で目にした奇妙な光景とは。
※本稿は、南氏の著書『新版 禅僧が教える心がラクになる生き方』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
死を乗り越えようとしなくていい
「自分」とは、人間がこの世に存在するために、仮に使わなければいけない舟のようなものだと私は考えます。
人がこの世にある限りは、どうしても乗らなければ生きられない乗り物。それが、「自分」という舟です。たとえ嫌でも、その舟に乗らなければ、人は生きていくことはできません。
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