新しいパラダイムとは何か。それは、「社会資本・主義」である。
「社会資本・主義」とは何か?
「社会資本・主義」というワードは「小幡造語」で、左寄りすぎるように聞こえるかもしれないが、違う。社会主義と資本主義のハイブリッドという意味ではまったくない。「社会資本」の主義、という意味であり、社会資本が社会・経済においてもっとも重要となる世界がやってくる、ということだ。
19世紀の「産業資本・主義」から20世紀の「金融資本・主義」そして、22世紀の「社会資本・主義」へ向けて、21世紀は移行期(混乱期)になるのである。
この「社会資本」とは、宇沢弘文氏のいう「社会的共通資本」をも含むが、もっと広く、かつ価値観的にニュートラルであり、1990年代に少し流行した”Social Capital”という概念のほうが近い。
つまり、経済発展は、需要の拡大によるものでもなく、供給サイドの生産力の拡大だけではダメで、社会という基盤がしっかりすることで初めて、真の地に足のついた経済発展が始まる、ということである。そのためには、需要政策でも生産性向上政策でもなく、何よりも健全な社会という土台を作り直す、という「経済」政策である。なぜなら、社会という土台がしっかりすれば、経済は長期的には持続的に自然と発展していくからである。
これは、長年の私の主張でもあるが、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)教授であるダロン・アセモグル氏は、現在の起きている大半のイノベーションは、一部の利害関係者が利益を独占することになっていて社会に望ましくない、だから、社会全体の豊かさをもたらす「正しい」技術革新のためには、政治による正しい方向付けが必要だ、と主張しているが(『技術革新と不平等の1000年史』)、この議論とも整合的である。
マルクス的な「経済という下部構造」という考え方とは逆であり、政府は、「正しい」方向へ社会を導くことにより経済の自律的な発展を促すのである。
そして、これは、経済至上主義、市場至上主義、金融至上主義と、どんどん倒錯してきた世の中を、社会至上主義(「社会主義」よりも本当の意味での「社会」主義)という正しい姿に戻す、つまり、これまた、膨張しすぎた近代資本主義社会の「正常化」なのである。
すなわち、政治・金融市場・経済の「正常化」へのパラダイムシフトが起きたのである。
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