「社会資本」の定義はあいまいで、広いものだが、学問的な厳密性はともかく、現実の経済政策に関して言えば、すべての人々が安心して暮らせる社会、これこそ、「社会資本」である。そして、これを支えるための法制度そして政策、それが「社会資本・主義」政策である。
イシバノミクスの潜在的可能性
イシバノミクスは、以下のように体系化できる潜在的可能性がある。
この「社会資本」の確立、修復、安定を政策の目標とする。国家を地政学リスクから守ることで、安心して経済活動に専念できる。災害から国土を守ることによって、安心して生活ができる。安定した消費、生産活動ができる。インフレという価格変動リスクから生活者、中小生産者を守る。健全な消費、生産活動につながる。将来のリスク、不安、不確実性も減るから、設備投資、人的投資もできるようになる。そのためには、社会不安が減り、将来の見通しへの不安が減ることが必要である。
さらに、今後、世界は外交的にも、自然環境的にも、予期せぬ困難にいつ直面するか、わからない。20世紀最高の歴史学者の一人だった、ウィリアム・マクニール シカゴ大学名誉教授は『戦争の世界史』の中で、17世紀から19世紀にかけての欧州勢力の脅威に対してアジア諸国の中で唯一日本だけが有効な対策を講じることができたのは、民族的に等質な社会であり続けたために、社会の存亡の危機感から一体感を維持できたから、としている。
彼によると、他のアジア諸国は、支配層と被支配層が異民族であったために、有効な対処ができなかった、としている。
民族という表現、捉え方は、私は妥当とは思わないが、含意としては、社会の一体感が存在すること、現在のアメリカのように、分断されていないこと、他の欧州いや世界中の国に置いて、社会が格差などにより分断されている中で、日本では格差が拡大していると言っても、相対的にはましなほうであり、そのことが、今後、大きな予期せぬ危機に対して、社会が一致団結して跳ねのける可能性を残している、ということになる。
だからこそ、これ以上、格差を広げない、格差社会だという人々の認識を定着させない、解消させるための政策は、長期的には、経済発展にとって必要不可欠のものなのである。だから、今年や来年のGDPの数字上の拡大よりも、企業の長期的な潜在力、人々への投資、そして、社会への投資が、より重要だ、ということになる。だからこそ、社会資本・主義政策は、真の経済発展戦略となるのである。
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