「ああ、ロミオ」短いセリフに詰まった深い意味 有名なセリフには有名になる理由がある

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シーザーが殺されたのを一番悲しんだのが、彼を心から尊敬していた政治家アントニーでした。アントニーは意を決して市民たちの前で演説をします。彼は、暗殺者たちがシーザーを殺したことで、ローマ市民にいかにひどい結果がもたらされるかを訴えかけるのですが、ここでアントニーは、自分を〝下げて〞語るのです。

私には知恵も言葉も権威もなく、
身振り手振りも弁舌も説得力もない、人の血を
騒がすことなど到底無理だ。
(『ジュリアス・シーザー』第三幕第二場、松岡和子訳、ちくま文庫)

しかし、アントニーは本来めちゃくちゃ弁が立つ人なんです。こんな風に自分を下げることが、相手を行動させることにつながると知っているのです。「みんな、立ち上がれ!」みたいに最初からただ命令するだけじゃダメなんですね。

仮定法を使うことで相手の心に火を植え付ける

そして、アントニーは「もし私がブルータスで、ブルータスがアントニーだったら」と仮定を使って続けます。

私がブルータスで、ブルータスがアントニーだったなら、
アントニーは諸君の心に怒りの火をつけ、シーザーの
傷という傷に舌を与えてしゃべらせ、その結果ローマの石すら
決起して暴動を起こすだろう。
(同書、第三幕第二場)

仮定法の中で、自分の意見はあくまで公的な立場(役割)としての意見だと冷静に伝えることで、相手の心に火を植え付けます。個人的な感情で言っているのではない、だから安心して行動してほしいと。

市民たちは何と言うか。
「よし、暴動だ」。もう単純です。

ちょっと笑ってしまうのですが、「ブルータスの家に火を放とう。行こう。さあ、一味を探し出せ」と憎しみ一色になるんです。

ここで面白いのが、アントニーは「行け!」と命ずるのではなく、「待て、聞いてくれ。まだ話すことがある」と引き留めるんです。民衆の暴動を正当化するストーリーは作れたが、まだ内面の準備が足りないと思ったのでしょう。

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