3浪東京藝大「音楽諦めた」彼女の"運命の出会い" 家庭環境の変化で、一度は夢を諦めたものの…

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「先生はホルンをやっていたので、音楽留学というような形で藝大に勉強しにいっていました。そこで先生から、藝大はとても演奏が上手な人が多く、切磋琢磨できる素晴らしい環境であると教えてもらい、やる気が出ました。また、先生は藝大で得た情報から、打楽器のいい指導をしてくださる先生を紹介してくださいました。秋からはその先生からレッスンを受けるようになったのですが、曲の演奏の仕方や、強弱の付け方、基礎的な能力を観るときのセオリーなど、音楽的な知識を丁寧に教えてもらって、一気に技術が伸びたんです」

秋以降の石橋さんは、貪欲に知識を吸収しつつ、バイトを週1〜2回午前中のみに減らして、1日平均8時間練習しました。

「好奇心が強くて、新しく学べることがたくさんあることを楽しく思っていました。人が変わったように貪欲に練習していましたね。もともとセンター試験の点数は合格点が取れていましたが、国語は小学校の恩師、英語は現役で早稲田に受かった親友に、それぞれ無料で教えてもらうことができました。自分でレッスン費用を工面していたので、ものすごくありがたかったです。そうした方々のおかげで、自分の気持ちが上向きになれたので、その年のセンターに関しては『大丈夫だな』と思えました」

その年は、東京藝大と東京音楽大学を受けた石橋さん。「合格がゴールじゃないけれど、一度挫折をしているから余計に、そこを目指せることがありがたかった」と語る彼女は、ずっと試験期間も「ゾーンに入っていた」ような感覚だったそうです。

東京音大に合格して、その調子のまま藝大に臨めたことで、とにかく試験が楽しくて、ワクワクが止まらない状態だったと、石橋さんは振り返ります。

この年の東京藝術大学・音楽学部器楽科打楽器専攻は志願者が35名で倍率は15倍以上でしたが、石橋さんは、無事合格者の2名の中に入り、最高の形で3浪目の受験を終えることができました。

第1志望校に合格したものの…?

3浪の末に、ついに念願の合格を掴んだ石橋さん。

しかし、受かってからは「逆に現実に戻ってしまった」そうで、この先の学生生活に不安を感じていました。

「両親は号泣して喜んでくれましたが、私はこの先(の大学生活は)試練しかないなと、我に返りました。自衛隊をやめて受けた同い年の男の子もほかの音大に進みましたし、最終の3次試験で会った6人は今でもみんな友達なのですが、(例年は)3~4人受かると聞いていたのにこの年は2人しか合格が出なくて。藝大では同期と助け合いながら4年間を過ごさないといけないと聞いていたので、どういう学生生活になるんだろうと不安でした」

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