「2浪目の4月か5月くらいに、不況の煽りを受けて、父親が会社を早期退職しました。それで父は事業を立ち上げたのですが、経済状況がさらに厳しくなり、レッスン代を捻出できなくなったんです。
それを聞いて、私自身ふてくされてしまったんです。そのときも、ずっとスーパーのバイトはしていましたし、吹奏楽部に顔を出したり自分の給料から捻出してピアノのレッスンに通っていたのですが、センター試験の直前に、『もう音楽の道は諦めよう』と思い、受験を断念しました」
「生まれて初めて、(親に対して)グレるような状態になった」と語る石橋さん。音楽はずっと好きで、諦められないにもかかわらず、悩み続ける日々が続きました。
「好きなオーケストラのCDを聞いていると、こんなにもこの曲が好きなのに、音楽が好きなのに、将来自分は何も関係ないことをするんだなと……と、ずっとそう考えてしまい、ウジウジしていました」
3浪の年になってもアルバイトの日々は続きますが、夏になるとまた、音楽に未練が残っていたために小学校・中学校の先生がいる学校の吹奏楽部に顔を出すようになりました。
そこで彼女は、運命の出会いを果たします。
同い年の男の子から刺激を受ける
「トランペットをしていた同い年の男の子が、私と同じように手伝いをしに来ていました。話を聞いてみると彼も音大を目指したそうですが、いったん諦めて自衛隊に入ったそうです(※音楽隊ではない)。
でも、やっぱり音楽をすることを諦められなくて、自衛隊を辞めて藝大を受けるんだと言っていました。そのとき、私は『入れても3浪の年齢だけど……』と思い、『年齢のことについては気にしないのか?』と聞いたら、『いや、(気にはなるけど)受けるよ。こんなウジウジした気持ちで一生いるのは嫌でしょ?』って言われたんです。それを聞いて、自分も彼のように未練を残したらダメだなと思って『私も受ける!』と言いました」
吹奏楽部での同い年の男の子との出会いで、自分の中にあった音楽に対する消せない思いに向き合うことができた石橋さん。
幸い、この年は去年と状況が変わっていました。親には自分の給料で受験し、奨学金などを借りて大学費用を捻出できるなら進学してもいいと許しを得たことと、小学校時代にお世話になった先生が教育委員会に異動になり、藝大で研修生として1年間勉強することになったため、石橋さんに藝大の情報も入ってくるようになったのです。
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