それでも、音楽が好きな祖母にピアノの発表会の話をするといつも喜んでくれていたことが、石橋さんにとって大きなモチベーションになっていたそうです。
そのため、上達は遅かったものの「一度も辞めたいとか、稽古に行きたくないとは思わなかった」と当時を振り返る石橋さん。
自然と音楽に慣れ親しんだ幼少期を送った石橋さんは、途中で転校を経験しながら、公立の小学校から中学校へと進み、吹奏楽部に入部して音楽を続けます。
成績に関しては、小学校・中学校時代は真ん中くらいか、それよりも下でしたが、あまりプレッシャーには思わなかったそうです。
「とにかくのんびりしていました。親から勉強を強制されたことは一度もなかったですし、成績が悪くても、できなくても、注意されたことはなかったので、両親に感謝しています」
その一方で、好きなことに対しては一生懸命で、先にも述べたとおり、幼少期は決して上手ではなかったものの、音楽会ではいつもピアノの伴奏に立候補して、ひたすら練習に励んでいました。
そんな石橋さんが「ピアノを弾く人になりたいと思った」のは、小学校4年生から課外活動として所属したマーチングバンドでの先生との出会いでした。毎日の朝の会・帰りの会でみんなで合唱するなど、生活の中に音楽を取り入れる先生から、石橋さんはたくさんの刺激を受けました。
高校でも部活一色の生活を送る
また、石橋さんが通っていた小学校のマーチングバンドは、隣にあった高校と定期的にジョイントコンサートを開いており、そこで演奏する高校生たちにも憧れを抱きました。
その高校こそが、石橋さんが進学する、神奈川県立港北高等学校でした。
「演奏する高校生たちの姿がかっこよくて、中学校のときに『絶対あの学校にいこう』と思っていました。そこで、中学校1年生の秋〜冬くらいから、学校の授業についていけるように駅前の塾に通い始めました。成績は小学校から変わらず真ん中かそれよりちょっと下くらいだったのですが、なんとかギリギリ合格できました」
港北高等学校に進学してからの石橋さんは、小・中から続けてきた吹奏楽部に入り、部活一色の生活を送ります。専門にしていたのは打楽器で、1年生のときは希望者が殺到したため打楽器セクションには入れませんでしたが、2年生から楽器の変更希望を出して打楽器を演奏できるようになりました。
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