老婆が剃刀向ける「朝ドラ」寅子モデル抱いた葛藤 裁判官としてキャリアを積む中で苦しい思いも

日本初の女性判事が誕生して大騒ぎに
日本で初となる女性判事が名古屋で誕生――。
昭和27(1952)年12月、三淵嘉子が名古屋地方裁判所の判事になると、駅前の電光掲示板にニュースが流れるほどの騒ぎとなったという。
新聞社の取材や講演の依頼も数多く寄せられるなかで、嘉子は息子の芳武とお手伝いさんと3人で、6畳二間の官舎で新生活をスタートさせた。
当時、名古屋大学法学部の学生だった大脇雅子は、友人とともに嘉子を訪ねたときのことを、こう回想している。
「前年に名古屋地方裁判所に判事として赴任したばかりで、中学2年生のお子さんを育てながら、実に生き生きと自信にあふれておられた。色白のふくよかな体全体から匂いたつような美しさがあり、まぶしい思いであった」
交通事故の民事裁判を担当したときには、現場検証を行っている最中に新聞記者から突撃インタビューをされたこともある。
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