最近あなたが受けた頼まれごとは何だっただろうか。職場でプレゼンをするとか、子どものサッカーチームのコーチをするとか、つき合いの浅い友人の誕生日パーティーに行くとか、さまざまな約束があるだろう。
細かな用事が及ぼす影響は予測できない
スケジュールが真っ白なので、それなら大丈夫だろうと思い「イエス」と答える。しかし予定が近づいてくるにつれ、あまり時間がないことに気がつく。頼まれごとよりも、自分の用事をこなしたいと思うようになる。それが「イエス→しまった! 案件」だ。
ザウバーマン教授が説明してくれたが、私たちは3カ月後に何も用事がないと思っているわけではない。ただ、今よりは時間が空くだろうと思っているだけだ。しかし、そのうち、未来は「時間無制限の魔法の国」だと勘違いするようになる。
実際、ザウバーマン教授がある研究で自由になる時間について、10段階で評価する調査を行ったところ(1=現在十分な時間がある、10=1カ月後に十分な時間がある)、被験者の回答は平均8.2だった。
そうした錯覚の原因の1つとして挙げられるのが、メールへの返信や会議、同僚や友人との約束、近所づき合いなど、日々の中で数分、数時間を費やす細々とした用事だ。思いつくまま挙げれば他にもあるはずだが、今も未来もこうした小さな用事が思いがけず飛び込んできて、私たちの時間や労力を消費する。
問題は、私たちがこうした細かな用事を予測するのが得意ではないということだ。先延ばしのときと同様に、未来について考えているつもりが、現実的には見ていないのだ。
とはいえ「イエス」という答えが必ずしも間違いだとは言い切れない。ダニーは言う。
「『イエス』はチャンスの言葉だ。イエスのひと言で楽しみや冒険、予期せぬことが転がり込む。なぜなら1つの『イエス』が別の『イエス』につながるから。まるでドミノ倒しのように」
トロント大学でマーケティング学を教えるディリップ・ソマン教授は、こうした「イエスと言うべきかノーと言うべきか」のジレンマを認識した上で、自分の生活に「ノー→やった! 効果」を取り入れるとよいと言う。
何かを約束する際には「イエス→しまった! 案件」を念頭に置き、自分の負担になりそうなものには「ノー」と言う。
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