もし支配的な野生の犬がくしゃみをすると、あと1、2頭がくしゃみをして同意をするだけで、群れは狩りに出掛ける。だが、下位の犬が自分の思いを通したければ、10頭ほどの犬にいっしょにくしゃみをしてもらう必要がある。
人間は事実上、ミーアキャットと野生の犬の両方を合わせた振る舞いを見せる。階級が物を言うが、自信も重要だ。
私たちは階級制で自分の上にいる者に従うが、自信のある人には――自信過剰の人にさえ――もっと従う傾向がある。確信の持てない状況で確信を見せる者がいれば、私たちは心をつかまれる。
自信過剰さは生存に有利だった
屈指の科学雑誌『ネイチャー』に最近掲載されたある論文は、自信過剰が存在するのは、かつてそれが人間の生存を助けていたからだ、と主張した。生き延びるために日々悪戦苦闘していた遠い昔には、幸運の女神は大胆不敵な人に微笑んだ。
この発見の背後にある計算は複雑だが、個人のレベルでは、自信過剰な人は食べ物のような稀少な資源を獲得する可能性が高かった。
たとえば、ライバルと対決する段になったら、少しばかり偉そうに振る舞ったり、攻撃的なまでに過剰な自信を見せたりすると、そうでなければ得られなかったような食事にありつけることがある。はったりが功を奏したからにほかならない。
自信過剰と空威張りの誇示行為を適切に行えば、ライバルを――自分より強いライバルでさえ――震え上がらせることができる。
もちろんライバルに見破られて、逆に叩きのめされたり殺されさえしたりするリスクは常にある。だが、他には飢え死にという選択肢しかなかった時代には、そのような賭けに出るのは理に適っていた。
同様に、社会のレベルでも、自己満足と用心深さは飢え死にを意味しかねなかった。その結果、生存のための戦いでは、たとえ成功の見込みが低かったとしても、何かやってみるほうが優ることが多かった。
したがって、集団は少し自信過剰の指導者に従うことを学んだ。ミーアキャットのムーブ・コールの人間版として、「あのサバンナのどこかに水場があることは、理論上ありうるけれど、実際にあるかどうかはまったくわからない」というのは、「あそこには必ず水場がある。さあ、ついてこい!」というのに比べると、はなはだ心もとない。
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