石丸伸二「論破芸」魅了される若者に伝えたいこと 恥をかかせる行為を安易に鵜呑みにする危うさ
選挙から数日で、早くもコンテンツとして消費されつつある「石丸構文」だが、こうした受け答えは、市長時代から都知事選までの間、彼にとっての原動力になっていた。議会切り抜き動画を見て、「旧態依然としたものを断じて、スカッとした」と感じた無党派層が、停滞する日本社会を切り開くリーダーとして思いを託したのも、それなりに理解できる。
とはいえ、石丸氏の言動を真に受けることには、「危険性」も多分にある。いや、そもそも石丸氏に限らず、どんな政治家の言葉でも、無条件で信用することは、非常にリスクが大きい。
立候補者の多くは、当選を目的としているが、任期が終わる4年後には、大抵の公約は忘れられている。言動不一致を指摘されても、「情勢が変わった」と言い逃れできる。つまり、悲しいことではあるが、「政治家は平気でウソをつく」と認識しておいたほうがいいのだ(なお、政治家がウソをつくことを、筆者が許容しているという意味ではない)。
そこに「強い言葉」の功罪が加わる。仮想敵を打ち出して、対立構図を示した演説は、ときに聴衆を魅了するが、後に禍根が残りやすい。また「傷つかない笑い」を求めるような層には、さらなる反発が起きる。
「小池都政のリセット」を掲げた蓮舫陣営の支持が広がらず、事前の知名度がほぼ皆無だった、AIエンジニアの安野たかひろ氏(5位、約15万票)が急進したのも、こうした背景があると考えている。
こと石丸氏の場合には、「旧態依然とした議会」や「紋切り型のマスメディア」を仮想敵に位置づけているように感じられる。この2つへの敵対心が根底にあると考えれば、安芸高田市議会や開票速報での言動にも、それなりに一貫性を感じられるだろう。
若年層の精神的支柱はSNS
コロナ禍を境に、SNS上では「ネットにこそ真実がある」という言説が定着しつつある。こうした考えは、ときに年配層などを陰謀論に巻き込むが、若年層では「生きる術」として精神的支柱になっているように思える。
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