石丸伸二「論破芸」魅了される若者に伝えたいこと 恥をかかせる行為を安易に鵜呑みにする危うさ
ネット上でしか報じられないのは、なにかしらの意味がある。マスメディアにとって、距離的や金銭的、人材的な理由から取材が難しいとしても、支持者からすれば「メディアにとって都合が悪いから報じられない」と感じてしまう。今回の都知事選で言えば、7位の作家・ひまそらあかね氏(約11万票)については、こういった疑念からの言及が相次いでいた。
そんな既存メディアへの不信感を打破する手段として、SNS世代を中心に、「論破」に期待している人は多い。「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏が人気な理由にも共通するだろう。石丸氏のように強い言葉で切り返し、質問者を窮地に追い込む様子を見て、カッコイイと憧れる人もいるはずだ。都知事選で無党派層を掘り起こしたことと無関係ではないだろう。
重要なのは「どこに着地するか」
ここまで書いてきたように、「ベテラン議員や既存メディアは、決まり切った質問ばかり繰り返す」という前提のもと、冷笑をまじえつつ、質問に質問で返すスタイルは、まさに石丸氏の政治的原動力になっていたと感じられる。
なお石丸氏は安芸高田市長時代にも、地元マスコミと舌戦を繰り広げる場面は多々あったが、ほとんど全国ニュースとしては取り上げられなかった。それはおそらく「都合が悪いから」ではなく、「全国1700以上いる市区町村長のひとり」ではニュースバリューが乏しかったからだ。マスメディアの判断基準には、都知事選の「主要候補」しかり、不明瞭なところも多々あるが、この点については理解の余地がある。
都知事選と同じ日に行われた、安芸高田市長選挙では、石丸市政からの転換を訴える候補者が当選した。議会への対決姿勢が「対立を生む」と地元で受け入れられなくなり、メディアへの対決姿勢が「構文」として、エンタメ消費されつつある現状を、石丸氏はいかに乗り切るのだろう。
スカッとした言動は、一服の清涼剤になるが、重要なのは「どこに着地するか」だ。対話を重ねて、時にかけひきをしながら、合意形成をしていき、最終的に「住民の生活」へと落とし込む。それこそが政治であり、リーダーシップではないだろうか。議論はプロセスに過ぎず、また論破はゴールではない。
老婆心ながら、筆者が若者に「安易に鵜呑みにすると危険だ」と警鐘を鳴らすのは、そうした勘違いを招く恐れがあるからだ。政治家と向き合い、清き一票を投じる際には、「そのコミュニケーションが、痛快なだけでなく、中長期的に市民生活の向上につながるのか?」と考えるようにしたいものだ。
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