「多発する炎上」が社会を滅亡させる宿命的な筋道 人類の脳の発達が生み出した「正義中毒」の末路

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

正義中毒者たちは燃料を与えられてますます勢いよく燃え上がり、同時にそれが新たな話題となります。ここで炎上ビジネスを仕掛けた側に注目が集まるわけです。最近の芸能界、芸能事務所を巡るさまざまな議論でも見られたように、SNSの出現でいわゆる外野が参画しやすい仕組みが作られたわけです。

一方で、そうした行為を炎上ビジネスと批判することそのものが間違っているのではないか、言論封じではないか、などといった新たなテーマも浮上してきます。

大事件になればなるほど、炎上のチャンスも増えていくことになるわけです。ここでは、話題としていかに素早く、気持ちよく、力強く沸騰するかがポイントなので、フラットな情報、ニュートラルな見方を保つための努力はあまり必要ありません。

正義中毒者が喜んで消費してくれるような不正義なネタを、スピード感を伴って供給できれば、話題の拡散による知名度や認知度の向上、ひいてはビジネスのスケールアップにまでつながるという仕掛けです。

多様性を狭めた集団は滅亡に向かう

正義中毒にかかった人たちは、一見するとそれぞれ独自の理論、独自の正義を持っているように見えます。しかし実際は、自分がターゲットにされることを恐れる気持ちから、多数派に流れている人が多いと言えるでしょう。

例えばAを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になってしまうと、異なる意見を持っていたとしても、言い出しにくくなります。これは、同調圧力の問題とも絡んでくる事象です。

社会全体でこういう方向に踏み出すことは、長期的に見ると非常に危険です。多様性を狭めた集団は、短期的には生産性を向上させ、出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かいます。言い換えれば、種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。

これは「そうあるべき」という社会運動家的な文脈で語りたいわけではありません。あくまで可能性の問題としてですが、現在の環境や条件が急速に変化して、それまで「正しい」とされていたことの中央値が大きくずれてしまった場合、今まで適応していた人が生きづらくなる代わりに、それまで外れ値とされてきた「変わり者」や「圏外にいる人」が、むしろ適応できるようになることが起こり得るからです。

だからこそ、種を継続させていくためには、ある程度の多様性を確保しておいた方が、健全で安心だと言えるのです。

次ページ企業にとっても欠かせない「多様性」
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事