「多発する炎上」が社会を滅亡させる宿命的な筋道 人類の脳の発達が生み出した「正義中毒」の末路
これは、企業に例えると非常にわかりやすい話です。強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績を上げている企業は、そうした人材ばかりを集めるようになるでしょう。しかし、ある日、急に規制が強化され、従来の営業方法が禁止されてしまったら、ほとんどの営業担当者が使い物にならなくなります。
そのとき、たとえ少数でも温厚かつロジカルで、顧客本位な営業担当者をたまたま雇っていれば、なんとか営業活動を継続できますが、全員同じタイプの強引な営業担当者しかいないという場合では、非常に厳しい状況を迎えるでしょう。
正義中毒は人間の「宿命」
自分と異なるものをなかなか理解できず、互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、実は人間である以上、どうしようもないことです。
ただ、たとえ他人の言動に強い拒否感を抱いてしまったとしても、人間の脳の仕組みを知っていれば、無意味な争いに参加して消耗することもなく、仕返しに誰かを傷つけることもなく、楽な気持ちで見守れるようになるのではないかと思います。
比較例としてウサギを考えてみましょう。ウサギの大脳は、正義中毒を起こすには小さ過ぎ、人間のように正邪を基準とした行動は取りません。なぜ生まれたのか、などという問題で悩むこともないし、死ぬということもおそらく意識はしていないでしょう。ひたすら草を食み、子どもを作って、育てて一生を終える。このループを、文字通り無心に行っているわけです。
人間は大脳を発達させてしまったばかりに、ウサギと同じ行動をする脳の周りに、大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が増設されていきました。大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いありません。人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、というやっかいな宿命も背負ってしまったわけです。
知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言ってもよいでしょう。インターネットとSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈示したのではないでしょうか。
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