批判は決して日本だけで起こっているわけではない。グレタさんは世界中から批判を浴び、冷笑を受ける対象となっている。むしろ世界の大多数は、彼女のことを非常に冷めた目で見ているといってよい。
だからこそなのか、彼女は気候変動に心を痛めるひとたちに、熱狂的に支持されている。そして、そんな熱狂的支持の様子を見るにつけても、若きアイコンへの盲目的な信奉だとして、反対派の声もまた強まるのである。
ここに、現代社会を動かす、ダイナミズム(動作原理)を見て取ることができる。
環境問題に関する世界秩序への挑戦
グレタさんは、いま、可能性としては限りなく小さいのかもしれないが、環境問題に関する世界の秩序を、根底から破壊しようとしている。
グレタさんが秘める、そのゲームチェンジの可能性に、気候変動問題の同志たちは賭けているのである。何かの拍子に、グレタさんの言動が、世界の国家を動かす可能性がある。そんな期待を胸に、グレタさんという存在から、世界秩序の破壊の一点突破を狙っているのである。
反対派もまた、このダイナミズムの中にある。よもや起こるまいとは思いながらも、グレタさんが今後勢力を伸ばしたら、ゲームチェンジが起こってしまう可能性もある。そうなれば、世界の国々が、大企業が、科学者・技術者たちが構築してきた気候変動対策への漸進的なロードマップが、すべてご破算になってしまう。そんなことはあってはならないと、現代の秩序の中で、気候変動のために活動してきた人々こそが、彼女を否定する。
たった一人の少女の声が、世界の秩序を転換しうる。それが決して絵空事ではないということが、現代社会の特徴なのである。マイノリティはつねにゲームチェンジを企図し、自らの目的が達成される可能性を模索している。グレタさんの事例のように、何かの拍子にその機会が訪れたならば、マイノリティ側は活気づき、ここぞとばかりに行動を開始する。
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