北里柴三郎が「日本近代医学の父」と称される理由 「ドンネルの男」と呼ばれた世界的医学者の功績

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さて、伊東温泉といえば、誰もが知っている伊豆半島の人気温泉地であるが、北里柴三郎はこの温泉の開発、普及に大いに関与している。

日本版クアハウスの元祖「北里の千人風呂」

北里が伊東に別荘を構えたのは、大正2年である。門弟の一人が病弱で、空気のきれいな場所として伊東を選び、移住して開業したのが縁だった。当時、伊豆急行線などはなく、東京から伊東に行くには、東海道線、三島駅で豆相線に乗り換えて、大仁に行き、そこから馬車に乗って峠を越える。優に9時間を超える行程で、現在と隔世の感がある。

そこへ訪ねているうちに北里も気に入ってしまい、約3000坪の敷地に純日本式の建物を建てた。さらに長さ20メートル、横10メートル、深さ2メートルの大プールを建設した。日本初の温泉プールである。これを地元民に開放したところ、「北里の千人風呂」と呼ばれ喜ばれた。健康の一環として温泉を積極的に利用したので、日本版クアハウスともいえる。

伊東は小さな港町で人家もまばらな寒村でしかなかったが、北里が別荘を建てたことで、政治家や実業家、学者などが訪れ、その中には別荘を建てる者もあらわれ、伊東は次第に賑わいをみせたのだった。さらに、鉄道敷設も積極的に運動し、北里はいわば、”伊東温泉の祖”と呼んでも過言ではないようだ。日本近代医学の父にはこんな一面もあったのである。

昭和6(1931)年、脳溢血により死去。享年、78。波瀾に富んだ医人の人生だった。墓は東京・青山墓地にある。

山崎 光夫 作家

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やまざき みつお / Mitsuo Yamazaki

1947年福井市生まれ。早稲田大学卒業。TV番組構成業、雑誌記者を経て、小説家となる。1985年「安楽処方箋」で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。主な著書に『ジェンナーの遺言』『開花の人 福原有信の資生堂物語』『薬で読み解く江戸の事件史』『小説 曲直瀬道三』『鷗外青春診療録控 千住に吹く風』など多数。1998年『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。

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