北里柴三郎が「日本近代医学の父」と称される理由 「ドンネルの男」と呼ばれた世界的医学者の功績

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
研究イメージ
新千円札の肖像になった、「日本近代医学の父」北里柴三郎の功績について解説する(写真:cassis/PIXTA)
「日本近代医学の父」と称され、細菌学者として世界に名を知られた北里柴三郎。今回、新千円札の肖像になったその功績について、彼の生涯を描いた『ドンネルの男』の著者で、医薬の歴史をテーマとする著作を数多く執筆している作家の山崎光夫氏が解説する。

「ドンネルの男」の異名

北里柴三郎はこのたび発行の新千円札の肖像に採用された。

小説 北里柴三郎: ドンネルの男
『小説 北里柴三郎: ドンネルの男』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。電子版はこちら。楽天サイトの電子版はこちら

北里柴三郎(1853~1931)は日本近代医学の父である。世界に先がけて破傷風菌の純粋培養に成功し、その抗毒素も発見、血清療法の基礎を築いた。さらに、ペスト菌も発見、世界に知られた細菌学者である。

北里は東京大学医学部の学生時代に著した演説会用原稿『医道論』の中で、「医者の道とは病気を未然に防ぐ事」と主張し、「予防衛生・国利民福」を生涯の目標として細菌学の研究に邁進した。この初心を北里は生涯をかけて貫いた。「終始一貫(しゅうしいっかん)」は北里の座右銘である。まさに、終始一貫して、国の衛生事業に生涯を捧げたのである。

指導者となった北里が門人に放つドンネル(ドイツ語で雷の意味)は有名だった。失敗や怠慢などに容赦のない雷が落ち、その大声での怒鳴り声は研究所内に響き渡った。そこには、悪気や私心はなく、一喝の後は、晴天が待っていた。腹蔵なく雷を落とすことでストレスを発散させていた可能性があり、北里の健康術の基本はここにあったのかもしれない。

次ページ熊本医学校での恩師との出会い
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事