――一方、源氏物語には小児性愛や連れ去りといった、現代においては不適切とされる場面も多々あります。訳者として、また読者として、どう向き合いましたか?
とくに嫌悪感はありませんでした。千年前の、しかもフィクションに、現在の不適切という感覚を当てはめては考えませんでした。ただそんな中でも、時代の変化みたいなものは確かに感じました。
どういうことかというと、例えば、藤壺のお話。光源氏は父親(帝〈みかど〉)の後妻である藤壺と浮気して身ごもらせてしまうのですが、この逢瀬のとき、藤壺自身は光源氏をどう思っていたのか。つまり、忍び込んでくるのを待っていたのか、それとも拒んだのに犯されてしまったのか。
この点、実は歴代の源氏物語の専門家たちの中でも解釈が分かれているんです。訳し終わってしばらくしてからそのことを知って、びっくりしました。
何がびっくりって、解釈の入り込む余地なんてないと思っていたんです。「待っていた」とはどこにも書いてないし。だから、それぞれの解釈には「どう読みたいか」が少なからず影響しているのではないかと感じました。
ちなみに私は、藤壺は「嫌だった」派なんですね。嫌だったのに犯されてしまって、だから帝に顔向けできないと。創作が入るなら別ですが、原文を読む以上はみんなそう受け取るだろうと、疑いもしませんでした。
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