「朦朧とした意識の中で、父は突然のように、沖縄に行こう。と言い出したんです。たぶん、残された時間の短さを悟っての言葉だったのだと思います」(愛里さん)
愛里さんは、父の言葉の中に、「沖縄に行きたい」ではなく、「家族を沖縄に連れていきたい」との意思を感じたのだと言う。秀俊さんは最後まで、父親でいたかったのかもしれない。沖縄旅行のことを担当の医師に相談したが、すぐには首を縦に振ってはくれなかった。
「がんの終末期ですから。いつ何があっても不思議ではありません。飛行機を使う旅行は気圧の変化などもあり、許可することはできないということでした」(愛里さん)
それでも秀俊さんの意思は固かった。どうしても家族を沖縄に連れていきたい。そんな思いが、痩せて落ちくぼんだ眼窩の奥に光る瞳に感じられた。
──よしわかった、連れていってもらおうじゃないか。
愛里さんは心を決めた。
「陸路と海路で行きます」
愛里さんの言葉を聞いた担当医師は、それ以上反対はしなかった。ただ静かに、次のようにアドバイスした。
「お父さんは、春まではもたないと思います。旅行に行くならなるべく急いだほうがいい。あと、道中、もしくは滞在先で亡くなることがあるかもしれない。そのこともよく考えておくこと」
ツアーナースとの出会い
進行がんで弱っている秀俊さんは症状の進行から、食欲低下、身のおきどころのない倦怠感や体の痛みがあり、それらの苦痛を和らげるため、持続点滴や鎮痛剤などの薬剤投与の医療ケアが行われていた。また呼吸困難の出現の可能性も考えられ、すぐに酸素療法が行える必要があった。家族だけでの対応は難しい。
そんなとき、愛里さんはネット検索で「日本ツアーナースセンター」の存在を知る。
「きれいなホームページだし。ハードルが高そうだなって、初めはすごく不安だったのですが、連絡を取ってみると、とても親切で、いろいろとアドバイスしてくれました」(愛里さん)
稲本家の沖縄旅行を担当することになった日本ツアーナースセンター、看護師長の細山理恵看護師はこう語る。
「がん終末期の患者さんのご状態は様々です。事前に担当医師から稲本さんのことをお聞きすると、とても厳しい状態でした。沖縄までは長距離で、もし途中何かあれば、思いを叶えることができなくなってしまう、どうにか移動に時間がかからない場所で思いを叶えられることはないか、娘さんにお聞きしながら、提案しました」
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