「ステージ4」膵臓がん患者が沖縄に"旅立つ"心境 旅先で最期を迎えることになるかもしれない

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「うちは、家族5人。父と母と、子供は私を含めた三姉妹です。家庭では父は私たち娘の話をよく聞いてくれる人で 、例えば仕事の愚痴を家で漏らすことはなく、弱い姿を見せる人ではありませんでした。だけど、自分の体ががんに侵されていることには、当然、強く動揺していました。がんであること、症状がかなり進行していることを聞かされた私たちも、大きなショックを受けました」(愛里さん)

アウトドア関連の趣味も多く、土日の休みにはよく家族を連れて海に出かけ、ウインドサーフィンを楽しむこともあった秀俊さんの姿から、がんの進行は想像もできないことだった。当時、大学4年生だった愛里さんは、大学院に進む予定を急遽変更し、父親の側で過ごすために、神奈川県の実家近くの会社に就職した。

抗がん剤治療を止め、緩和治療へ

すぐに闘病生活が始まった。主治医の説明によると、「手術ができるところまでがんを小さくするために、まずは抗がん剤の投与を始める」とのことだった。投与が始まると、それまで元気そうに見えていた父親の体が、どんどん小さくなっていくようで不安だった。

「抗がん剤のおかげで、ある程度がんは小さくなって、やっと手術できるようになったのが、がんの発覚から11カ月経ったころのことでした。12時間もかかる大変な手術だったけど、父は頑張って乗り越えてくれました」(愛里さん)

その頃、稲本家では身内の不幸が続いていた。秀俊さんの手術のあと、親戚のひとりに大きな病気が見つかり、その対応にも追われた。そんな慌ただしい毎日の中で、秀俊さんの症状は一進一退を繰り返した。

秀俊さんの膵臓がんは見つかった段階でステージ4である。手術をして膵臓のがんはすべて摘出したものの、術後に再発し、肝臓に転移していた。

「その後も抗がん剤治療は続いたのですが、2022年の10月を最後に、抗がん剤治療は終了しました。それ以上効果は見込めないということでした。そこから先は緩和治療です」(愛里さん)

終末期の患者が過ごすホスピスへの入院も検討されたが、秀俊さんは、自宅で家族と共に暮らすことを選んだ。

2023年2月上旬。秀俊さんは敗血症性ショックを起こし、救急車で病院に担ぎ込まれる。

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