NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第10回は恋に奔放だった和泉式部と藤原道長のやりとり、紫式部が手放しで評価した赤染衛門のエピソードを紹介する。
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藤原道長の「浮気女!」に反撃した和泉式部
「気軽な気持ちで手紙を書いたとき、文筆の才能を感じさせる。ちょっとした言葉にも、香気を放つのが見える。詠む歌はたいそう興味深いものです」
(「うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと」)
『紫式部日記』を読み解くと、紫式部が歌人の和泉式部のことを、そんなふうに高く評価していたことがわかる。
紫式部は寛弘2(1005)年頃に、そして和泉式部はその約4年後の寛弘6(1009)年に、ともに一条天皇の中宮・彰子のもとに出仕している。
同僚だったこともあり、和泉式部のプライベートも紫式部はよく知っていたのだろう。歌の才能を認めながらも、「和泉にはちょっと感心できない点があるけれども」(「和泉はけしからぬかたこそあれ」)と苦言を呈している。
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