
夫を亡くした式部に近づいてきた男
夫の藤原宣孝が急死してしまい、紫式部は娘の賢子とともに取り残された。
『紫式部日記』の「年ごろ、つれづれに眺め明かし暮らしつつ」(長い間することもなく、物思いに耽って夜を明かして、日暮れまでぼんやりと過ごしながら)の記述からは、半ば放心状態で日々を過ごしていた式部の様子が伝わってくる。
だが、女性がそんな状態のときにこそ、つけ入る隙がある――。そんなふうに考える、不届き者はいつの時代にもいるらしい。
式部が「私の家の門を叩きあぐねて帰っていった人が翌朝に詠んだ歌」として、次の歌を紹介している。
「世とともに 荒き風吹く 西の海も 磯辺に波は 寄せずとや見し」
(いつも荒い風が吹く西の海も、磯辺に波が寄せなかったことがあるのだろうか)
式部の家の門を何度も叩いたのに入れてもらえなかったようだ。
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