浪人を始めてからのレトロプリンさんは精神科医になるための勉強をしていたものの、さらに精神面を悪化させてしまい、彼自身も精神科に定期的に通院するようになりました。
彼は自身の状態との兼ね合いもあり、実家で安静にして無理をしないように勉強を続けていました。試験を何も受けず、「ずっと精神的にどんよりした状態が続いた」数年間を、彼はこう振り返ります。
「じっくり療養していました。よく公園をぼーっと歩いていましたし、たまに父親に誘ってもらい、気晴らしにキャッチボールをしてもらっていました。思えば、親はとても気を遣ってくれていましたね。映画作品の『余命10年』のように自分の息子のことを怖くて触れずそっとしておく感じでした」
「精神科医に向いていない」の一言
自分自身にも焦りやプレッシャーもあったそうですが、さらに大きく精神的に落ち込む挫折が4浪目に訪れます。
「高校を出てからも定期的にカウンセリングに行っていたのですが、この年、かかりつけの精神科医に『君は精神科医に向いていないよ』と言われたんです。私は『敏感で人の機微に気がつくために、一歩離れて冷静に患者さんを診ることができない』とのことで、『鈍感な人でなければ“人間”相手の精神科医は難しい』とアドバイスをいただきました。それで目標を見失って、前向きに生きる意欲がなくなりました」
「最も精神的につらかったのがこの時期でした」と彼は振り返ります。
しかし、そうした鬱屈した日々から立ち直る出来事も5浪目に起こります。絶望のまっただ中にいる彼を救ったのは、実家の犬でした。
「5浪目の年に16年飼っていた実家のチワワが亡くなったあと、新しいチワワを飼うことになったのですが、この子が不安行動を起こす性質があったんです。
僕はその子と同じ部屋で生活していたのですが、親が僕を呼んだり、インターホンが鳴ったりしたら、僕が部屋からいなくなることがわかっているからパニックになって吠えるんです。まるで部屋に自分だけにしないで、置いていかないでと言うかのように。
だから僕は何としてもかわいく愛しいこの子のために生きたいと思ったんです。以前、敏感で“人間”の精神科医には向いていないと言われましたが、“動物”の精神科医なら、むしろ自分のような人間には向いているんじゃないかと思ったので、獣医になりたいと思い受験勉強を開始しました」
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