戦う前に勝つ方法として有効なのが、事前に敵の有力者を味方に引き入れることです。これを「調略」といいます。もちろん相手は、滅多なことでは誘いに応じません。そんなことは百も承知で、武田信玄や毛利元就は誘うわけです。
手紙を出す。贈り物をする。ときには、「あれだけの武勇の者が当家にもほしい」と相手方の耳に入るような形で、褒めまくります。自分があの武将を誘っていることがわかるように、わざと相手方に情報を流すのです。それでも、立派な人物であればあるほどに、当事者の気持ちが変わることはないでしょう。
しかし、この戦術が恐ろしいのは、何度もくり返すことによって、敵の周囲の人間の気持ちが揺さぶられ、疑心暗鬼が生まれることです。
どんな組織も、完全な一枚岩はありえません。そのうち、「脈がないのに、何度も誘うのはおかしい。もしかしたら……」と、敵の同僚の中に、疑念を抱く者が出てくるのです。いくら裏切るつもりなどない、といったところで、疑念が疑念を呼び、目指す人物はその家には居づらくなることでしょう。
巧妙に噂を流して敵の戦力を削ぐ
「調略」は戦国時代、ときに合戦で勝利する以上の成果をあげることがありました。豊臣秀吉が本能寺の変のあと、領国獲得・拡大に躍起となっていた頃、この先、天下取りの障壁となるであろう織田信長の次男・信雄の勢力を、なんとか削ぎたい、と考えました。
そこで秀吉は、信雄の3人の優秀な家老に対して、「調略」=罠を仕掛けたのです。秀吉は彼らに対して、「こちらに寝返ればあなたたちを厚遇する」と誘い、その誘った事実をそのまま、信雄に伝えたのです。3家老は最後まで秀吉の誘いには応じませんでしたが、裏切られた、と誤解した信雄によって成敗されてしまいました。
現代においてもこうした噂を意図的に流すこと(流されること)は、けっして珍しいことではないでしょう。彼は転職するらしい、といううわさが耳に入れば、「あいつがわが社を裏切るはずがない」と思っていても、最悪のシナリオが頭の片隅から離れなくなってしまいます。
そうなると、もはや重要な案件を彼に任せることはできません。情報漏洩されたら困るからですが、彼を使えないとなれば、実質的な戦力ダウンは免れないこととなります。
先の3家老は誘いを断りましたが、徳川家康の腹心だった石川数正(酒井忠次に次ぐ重臣)は、秀吉の誘いに乗ったといわれています。数正は家康が少年時代から仕えており、家康の信頼も篤い武将でした。織田信長と同盟するように勧めたのも、数正でした。
いずれ家康と雌雄を決するときが来る、と考えていた羽柴秀吉は、数正に早くから目を付けていました。家康に会いに行った際はもちろん、別途に数正へ使者を出し、ことあるごとに「数正はいい」と褒めそやすのです。
そんな様子を見た徳川家の家臣たちは、「数正は秀吉に誘われている。いずれ当家を裏切るのではないか」と次第に疑うようになっていったのです。
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