横浜創学館高校、八戸大学を経て2010年ドラフト3位で入団した秋山は、OBの秋山幸二氏と同じ名字ということもあり、当初は長打を打てて走れる選手を期待された。
そこから2015年にプロ野球新記録の年間216安打を達成したように“ヒットメーカー”として生きる道を求めたのは、同学年の柳田悠岐(ソフトバンク)と木村の存在がきっかけだった。
秋山はこう話している。
「柳田に何か勝ちたいと思って始めたのが、ヒットを打つことへの特化でした。西武では2014年に木村が出てきて、走れて飛ばせる力を示したから、自分の能力では限界があると思ったことがきっかけです。プロで勝負できるものを探して極めていく。逆に何かを捨てないといけないのが“ホームラン”でした」
大卒4年目の2014年、秋山は打率.259に終わった。過去2年より数字を落とし、本塁打を捨てて単打を優先したことが2015年の飛躍につながった。
期待されたが「思うような活躍」ができない選手も
一方、2006年高校生ドラフト1巡目で埼玉栄高校から入団したのが木村だ。
豪腕投手として期待されたが思うように活躍できず、2012年オフに外野手に転向。2014年に自身初の開幕スタメン出場を果たすと、100試合で10本塁打、16盗塁と長打力と走力を示した。
だが、その後はレギュラーに定着できなかった。
課題のひとつが右投手への対応で、2019年開幕前のインタビューで対策を聞くと「打ち損じを減らす」「練習量」という答えが返ってきた。
筆者の聞き方が悪かったのかもしれないが、繰り返し聞いても具体的な内容はまるで語られなかった。
結局、木村は2021年途中にトレードで日本ハムへ。
プロ野球に通算17年間在籍したことはポテンシャルの表れだが、レギュラー定着には至らず2023年限りでユニフォームを脱いだ。
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