今、世界を揺るがしている戦争は2つの場所、ウクライナとガザで起こっている。
ウクライナとガザ、地図上で見ると、とても離れた地域である。しかも、スラブ人とアラブ人、正教会とイスラム教徒、ユダヤ教徒、いずれをとっても共通点が見つからない。
あえていえば、アメリカとロシアが深くからんでいることだけである。ただ、地政学的東西対決のフロントとして、2つの地域が深く結びついていることはわかる。
しかし、過去の歴史をさかのぼると意外なことに気づく。それは、これらの地域は同じオスマン帝国の中にあったことである。かつてオスマン帝国は、黒海の北部(ウクライナ)と、中東地域(ガザ)を領土に組み込んでいた。つまり、両地域とも同じ帝国の版図の中にあったのである。
その2つの地域が、今戦争に陥っているのは偶然ではない。それはこの巨大な帝国、オスマン帝国の崩壊から、20世紀の歴史、そして21世紀の歴史の変動が始まり、いまなおその終着点を求めてさまよっているからである。
19世紀4大帝国のせめぎあい
19世紀までのヨーロッパの諸国家の布置を見ると、オーストリア帝国、プロイセン帝国、ロシア帝国、そしてオスマン帝国の四大勢力がしのぎを削っていた。そこに、フランスとイギリスといった国民国家の力が増大し、その力が日増しに強くなっていった。
その結果が、ナポレオンによるフランスの拡大と各地で起きた国民国家を目指す民族独立運動であった。ウィーン体制といわれる1815年以降の体制は、国民国家へと移行していく流れの中で締結された体制であった。
その結果、各地で民族独立運動が盛り上がる。イタリア、ドイツ、ポーランドなどで国民国家の統一を求める青年運動がそれだ。それは、やがてオーストリア帝国やドイツ帝国、ロシア帝国、そしてオスマン帝国まで波及し、世界を揺るがす大変動を生み出す。その現れの1つが、1853年から始まるクリミア戦争であった。
この戦争は、オスマン帝国の解体を意味する戦争であり、かつその領地をどの国が分け合うかという「ライオンの分け前」の戦いであった。その結果、これらの地域をフランスとイギリスという国民国家が勝ち取ったことで、オスマン帝国のみならず、ロシア帝国、オーストリア帝国、プロイセン帝国の力は弱まっていく。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら